さてとまる

日々を綴る

適当

ずっと適当に生きてきた。

大きなこだわりとかも別になく、野心や上昇志向も喧嘩が弱いのでダメだ。人にお願いしても、無理!って言われると別に無理そうに見えなくても、そうかあ、と思って諦めてしまうし、絶対にいや、といわれると、まあ、そういうもんなんだろうなとおもう。

死んでるみたいに生きたくない!という、失礼千万な若者の戯れ言があるが、私なんてもうそのサンプルですよ。生きてんだか死んでんだか本当のところ自分でもよくわからない。まあ、そこも適当よね。もう若くないので、やる気を出せ、とか説教されずに済むのもいい感じ。人を巻き込まなきゃ、貴様の努力ってのはできないのか?とも思うし。

 

これからはもう、老いも若きも自分のために自分の好きなことをやっていくしかないような気がする。その先の未来だよなあ。

 

今日はお休みなので、多分一番ダウナーなところで書いている。普段はもっと上がってるところもありますが。

 

長い一生の一日。

こんなのがあってもいいだろう。

 

で、後で読み返すとき、わっ、こんなんもあったんだね、とまだこれよりややまし、と思って上がる、かも。

明日への希望ですね。無駄じゃないです。