さてとまる

日々を綴る

弔辞

執事の弔辞に泣きました。

政治の世界にも人はいるのね。

年下のボスを支えて7年8ヶ月。安倍さんにとっても菅さんにとっても人生を変える出会いだったのだな。プリンスと叩き上げ。お互いにないものを補い、不可欠の存在だったに違いない。身近にありそうなよくあるお話だけど、それが自民党で、浮沈の激しい政治の世界なら大変だったのではと予想する。

安倍-菅の7年8ヶ月の間、私たちは本来ならお金に事欠き、生活の維持に汲々としなければならなかったところを救われたと思う。日銀がお金をじゃんじゃん刷ってくれたおかげで金利は下がり、家なんて夢のまた夢のような人でも持ち家の夢を叶えることができたのではなかろうか。金利が下がって、銀行からお金を借りて設備投資ができた企業も多くあったかもしれない。この7年8ヶ月にどれだけのことができたかで企業の明暗は分かれるだろうな。

本当にいい夢を見させてもらいました。日本というお屋敷は広いから、手の届かないところ、目こぼししたところはたくさんあったかもしれないけれど。

襤褸は着ていても心は錦、って言葉があるけど、これからは多分、そこに戻って行かなければならないと、自分の状況も含めて(年齢もいってるし)考えている。錦を持ってる人をどれだけ見分けられるかなあ。

安倍さんも岸田さんもプリンスでスマートだけど、安倍さんは日本を作った元老を戴く名門でありながら持病を持っていて、お子さんがなかった。菅さんがどこかで「寂しがり屋なところがあるから」と言っていたのを思い出す。

(一方でなぜか、私は岸田さんにはこう、突っ込めるところがないと感じていて、それはやっぱり岸田さんが日本の普遍的な家族構成で健康(ですよね?間違っていたらすみません)に見えるからではないかと思っている。だが中村喜四郎さんの評伝「無敗の男」にも記されている、常軌を逸した聞く力は今後もどんどん発動して日本を豊かにしてほしいと希望。)

安倍さんが第一次安倍内閣を畳んだとき、私は失礼にも「安倍さんはガルマだ」と思った。ガルマとは、機動戦士ガンダムに出てくる、赤い彗星シャア・アズナブルの友人で、親友だと思っているシャアに「坊やだからさ」と言われてしまう人物である。だが再び戻ってきた安倍さんは、もうガルマではなかったと思う。心は錦の菅さんと走り続けた7年8ヶ月。毀誉褒貶はいろいろあるでしょうが、ハンサムでスマートで、国会中継でにこにこ楽しそうに「悪夢のような民主党政権」と言う安倍首相の姿は、私にとっては心やすらぐ日本の平和の象徴でした。

 

心からご冥福をお祈り致します。

 

以上。