さてとまる

日々を綴る

過ぎし日の灰皿

たまたまスマホのアルバムを見ていたら、このような写真が。

 

上野駅の「レカン」というフレンチのお店の前に目立たない感じのウエイティングバーがある。昔は紙巻煙草が吸えて、かつとても小体でおしゃれなお店だったので、フレンチな気分を味わいたいときはよく行っていた。これはそこで使われていた灰皿。手のひらにのるくらいの大きさで、錫か何かかな、少々重みがあり、底がざらざらしている。この「底がざらざら」がすごく大切で、煙草を消すとき火のついている先が底に当たって灰を散らすので、消しやすい。しかーもですよ?この可愛らしさ。さすがにお店の什器に手を出すわけにも行かず、写真だけ撮らせていただきましたが、今見ても、どうせお店が禁煙になってしまうなら、一つくらい。と、よろしくないことを考える(そりゃ泥棒ですよ)。

煙草ってやはり身体に悪いし、匂いも煙も良くないので、それは世の中からパージされても仕方がないんだが。

なくならないというのはやっぱり、どこかしらに手放せない何かがあるということで。

かつての私の同僚でお子さんが三人いる人がいた。もう見るからに大変そうでやつれて見えた。でもその人が煙草を吸っているときはとても嬉しそうだったんですよ。なかなかため息とかつけないから、あれは大きなため息だったんだと思っている。かく言う私も、吸いたいときに吸うというなんちゃって喫煙者なのだが、吸いたいときは、なんだかいろいろあってはー、とかしたいときです。

いかんとは思いつつ。