さてとまる

日々を綴る

あたくし

 

今日久々に「あたくし」という一人称を聞いた。「徹子の部屋」に山本陽子さんが出ていた。

本日より「徹子の部屋」が49年目に突入するとのことで、なんとゲストがお二人!

今日は高橋英樹さんと山本陽子さんだった。

昔の女優さんは「あたくし」といいますよね。黒柳徹子さんも自然にそうおっしゃる。上品で古風な、使う人を選ぶ一人称だけど、まだちゃんと生きている。全然嫌味に聞こえないというのはありがたい。「徹子の部屋」はそういう意味でも本当に貴重な現場だと思いました。

実は、山本陽子さんは私が初めてファンになった女優さん。

清楚な感じの美人なのに活発でさわやか。

一緒に出ていた高橋英樹さんが「この方は男の人ですから」と言っていた。

(日本で一番最初にポルシェに乗った女優さんらしい…すごい蛇足だけど)

 

さて先日、麻生副総理が上川外相のことを

「このおばさんやるねと思いながら。そんなに美しい方とは言わんけれども」

と言ったことが話題となっていたけど、私はなんとなく「反語」の概念が日本人からなくなってしまったのではないかなと思い、少々残念な気がした。あえて反対のことを言うことで、その対象の良いところを強調する。昔から日本の男の人が女の人の「実力」をほめるときは、前述の高橋英樹さんのように「男(も目を見張る)のような、色気とは関係ないいいところがある」という意味で、女性の反語として「男の人だから」というか、麻生さんのように「年を取ってるか若いか、男か女かは見ていません。この実力の前ではどうでもいい」という意味で反語として「おばさん」と「美しい」を使うか、どっちかだと思うのだが、麻生さんの発言はまさに最上級のそれだったような気がする。

年齢による日本語の使い方に配慮することがなくなってしまった今では、そういう古風な誉め言葉は理解できない人にはただの批判と映るんだろう。年配の方の使う日本語と子供の使う日本語は、だが違っているのが正しい。年齢なりの言葉の使い方、語彙にいろいろ個性や意味があるのに、何でもかんでも一把ひとからげにしてしまう。たとえば、おばさんが何で悪いのか。おばさん、のほうが口語的で「中年女性」よりいいと思うし、実際、そう呼ばれることに人はある一定の年齢になれば抵抗はなくなる。それは間違いなのだろうか。小さな姪っ子や甥っ子にちゃん付けで名前を呼ばせることの方が無理があると思う私は時代遅れなのか。

しかしながら、上川外相の受け方は素晴らしかった。「どのような声もありがたく受け止めている」。感謝の念を伝えつつ、かつ党の重鎮であり先輩でもある麻生さんのメンツをつぶさず、余計なことは言わず。今日も国会答弁で質問した立憲の女性議員さんが、上川さんの「一緒に頑張りましょう」という一言に、感激のあまり泣きそうになっていたものね。上川さんは、そういう意識の高い女性議員のアイドルなのではと思いました。どんな言葉であれ、本人が褒められてうれしければそれでいいのでは。

そういえば、国会で広く使用されている一人称は「わたくし」では?

さすが国政の現場では伝統が生きている。