さてとまる

日々を綴る

自分の人生を

今日も社食でチキンのトマトソース煮を食べながら、「おかえりモネ」を見た。

亮くんはほんとに漁師になりたかったのかな。ずっとそう思っていた。
真面目でいい子だから、お父さんや亡くなったお母さんのために、ひょっとしたら家業を継いだのかも知れないと。

親が片親になると、子供にかかる重圧は計り知れない。そばにいるお父さんが傷ついてどうにもならなくなってしまったならなおさら。子供って、親が考える以上に、実は親のことを考えていて、お父さんがあんな風になってしまったら、余計親を捨てて自分のことを考えることができなくなってしまう。自分が一生懸命、漁師の仕事をやっているのを見せることで、一人前だって見せることで、お父さんに立ち直ってほしくて、そして回りの人に心配をかけないように、自分の心をふさいでずっと生きて来たのではないか。一人っ子あるあるである。

でも、あえていわせてもらえれば、それは自分の人生を生きていないということ。お父さん何やってんだ。連れ合いを亡くして悲しいのかもしれない。でも子供はいつも親の背中を見ているんだよ。

亮くんのモネに対する気持ちは、多分、世界の誰一人自分のことをわかってくれなくても、モネさえ理解してくれていたらそれでいい、というすごく切羽詰まったものだったと思う。でもそこが亮くんの優しいところで、こんな重い気持ちをモネに背負わせてはいけないと、必死に隠していたんじゃないかな。

だがしかし、故郷に帰って来たモネに
「きれいごと」
と言った時点で、あー、これはもうモネじゃなくても良くなったなー、と毎日見ているおばさんは思いましたよ。自分をフッた女の子に得意気に辛辣になるって、もう次がいるってことよね。

だからみーちゃんが、亮くんは、と悲しげにしていても、いや、だから、もう多分そうなんだって、と画面の中に入って世話を焼いてあげられないのが、口惜しくて口惜しくて。

この可憐な男の子の役を、いまをときめくキンプリにふったというのは…。さすがですよね。

さて。

もし生きて帰って来たなら、今度はちゃんと自分の人生を生きてほしい。
だってそんなことしてたって、誰も感謝なんてしやしないし。失われた時間はもう戻って来ないんだから。

以上。取り残された亮くんが幸せになってくれることを祈っています。