さてとまる

日々を綴る

開会式

オリンピックの開会式をみていて、日本人て引き算がうまいなあ、と感じた。
簡素で良かったんじゃないか?
世界中で人がばたばた死んでいるなか、オリンピックだけ華やかって訳にも行かないし。

歌舞伎の「暫」で、市川海老蔵さん(成田屋)が「睨み」をやっていたけど、成田屋の睨みは厄払いのご利益があると言われている。そういう意味でも、あの睨みが世界に(多分)中継されただけでもありがたい。寄せ集め、とか言われているけど、寄せ集めでもこのレベル。プロジェクションマッピングが日本にあってよかったわ。

振り返って見れば、バブルの崩壊以降、この国は全く元気のない状況が続いていて、新しいものも生まれず、どんどん格差が広がり、政治も道を誤って、没落の一途を辿っている。
だけどこれだけの困難の中、五輪を開催することができたというのは、やっぱり関係者の人たちの決して諦めないという熱い思いがあったからだと思う(私も昨日まで正直、どこかで「やめればいいのに」と思っていたよ)。オリンピックの前段階で、こんなに感動させてどうする。これはこの後、日本の自信になると思うな。

日本人は真面目で完璧主義だから、十分に準備もできず、出来合いのものしか出せないような状況は恥だと思い、中止していたはず。
でも、それでもいいじゃん、とりあえず頑張って形にしたんだから出して行こう。追い込まれたとはいえ、今まではこの考え方がなかった。

でもこの開会式で、それを見せてもらい、それでも大丈夫と思えたことで、少なくとも私は大きな気付きを得ましたよ。ありがとうございます。

個人的には、とてもいろいろなことを考えさせられる開会式でした。

以上。

注)「睨み」について、あれは「睨み」なのか「見得」なのか、海老蔵さんご自身のアメブロで解説されてました。正しくは「見得」らしいです。間違いでしたね。すみませんでした。「睨み」は特別なもので、口上をあげてから、特別な作法に則り行うもののようです。勉強になりました。

#オリンピック#開会式