さてとまる

日々を綴る

逆に新しい

菅総理が辞任することになった。

菅さんが首相になって、河野さんが行革担当大臣になったとき、ひょっとしたら菅さんは河野さんが首相になるためのリリーフなのではとちょっと思った。片や叩き上げ、片や名門政治家一家の御曹司。これでもし河野さんが首相になったら、ますます階級の固定化が進むなあ、となんとなくだが思う。また、これは民主主義の危機ではないか。限られた一族が日本を回す社会になってしまうのでは?叩き上げが夢を見られない世界は勢いを失ってしまうと思う。というか、これどこかで見たことないか?階級の固定化で、社会が勢いを失う。一昔前の発展途上国みたいだ。

なんだかだんだん変な世の中になって来ている気がする。こんなこと言ってはいけないとは思うが、飲食店の経営者の方々がテレビのインタビューに答える時、国からの給付金、もらって当たり前、滞っているのはどうなっているのかと批判を繰り広げているのが気になる。なぜなら、飲食店の多くが自営業だからだ。自営業となったからには公に頼らず、何があっても自分の力でなんとかするというのが矜持であったような気がするのだが。

例えば、香港の有名な麺粥店が日本に支店を出したが、香港の情勢を省みるにもはや香港での商売は立ち行かないと判断し、香港の本店を閉めた。その代わり日本に数店を展開し、日本で稼いでいる(緊急事態宣言が出たのでさすがに今はきついとは思うけど)。ダメージを最小限に抑えて、とりあえずだめならばたたんで、また再起を期す。給付金があるからこのサイクルが立ち行かなくなり、もらえるうちは、とタイミングを逃しているのではなかろうか。

そういえば、なんというか、ありとあらゆるところでタイミングを逃しまくっている。

デジタル化もそうだし、アフガニスタンの救援活動も、オリンピックもだ。選択と集中とはよく言われることだけど、言われている割には、選択も集中もないような気がする。

そこでさすがの菅さんですよ。国難であるコロナに集中して取り組むという。今何が必要かを考えて、選択と集中をした結果、首相の座よりコロナになったのだろうな。

こういういぶし銀のよさって、いまなかなかわかってもらえないですよね。個人的には、チャーチルダイナモ作戦ぐらいの決断ではなかったかと(というか、すごいドラマだったと思う。久しぶりに見た気がしますよ、政治家の決断というものを)。