さてとまる

日々を綴る

気がついた

昔からコミュ障の傾向があり、どうも他人に対する共感が薄いところがある。なので、もう四半世紀(おお!)以上も昔になってしまったが、人付き合いはつらかった。高校に入ったときは頻尿と顎関節症に悩まされ、母に「精神科に連れてって!」と泣いて頼んだこともある。運悪く、私の母は昔気質の厳しい看護師で、顎関節症は認めてくれたが、精神科は認めてくれなかった。ただ一言、泣きわめいている私に

「病気を自分で作るんじゃない!」

お茶の水の病院の廊下で一喝されて、泣きながら学校に行った日のことは今も忘れない(口腔外科と精神科が確か向かい合っていたのよね)。

母は常に子供の私と競っているようなところがあり、私が社会人になると、時に私の月給の額を聞いて、

「まだ勝っている」

と得意げに言っていた。私が仕事でしくじって落ち込んでいると、

「あんたの仕事で人は死なないけれど、お母さんの仕事でそんないい加減な気持ちでいたら人が死ぬ」

と、慰めているのかけなしているのかよくわからない言いぐさで、しょっちゅう私をやり込めていた。なので、看護師さんというのは立派な仕事なんだが、大変だなあ、と、思うのと同時に、もうなんだかあいつらごっつ気が強くてかなわん、と思ってもいる。

そんな母もうちの娘さんには、孫がかわいいただのおばあさんとなり、私の待遇との格差になんだこりゃ、と思っていた。娘はおばあちゃん子に育ち、うちの近所では仲良しのおばあちゃんとその孫という微笑ましいセットで認定されていた。だが若い頃の無理がたたって病気になってからは、よく救急車のお世話になるようになった。

母が他界してもうかれこれ10年以上がたつ。一昨日は看護師の国家試験の日だった。娘はおばあちゃんの姿を見ていて、看護師になってできれば老人医療を専門にしたいそうだ。

お豆腐メンタルだし、天然なので、親として、かつ、さんざん看護師のきっつい母親にダメ出しをされていた身としては

「本当に大丈夫なのか」

と、思ってしまうが、だがしかし。もはや自分の人生ではないしなあ。

願わくば、歯も欠けあちらこちらぼろぼろになった年老いた私に

「お母さん、病気は自分で作ったらだめ」

とか言わないでくれたらいいのだが。

書いていて気がついた。母も心配してくれていたのかな。

 

さて、本日、巷はバレンタインデーですね。

昔の曲を一曲。


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ちょっとシュールなのよね。