さてとまる

日々を綴る

毒親

子供の人生を支配する。

そういうのが毒親と言うらしい。

私の母は感情の起伏が激しく、自分の間違いを認めるのが苦手だった。

両親が稼いでくるお金で好きなだけ本を買ってもらい、口のたつ生意気な子供だった私は母の行動や言動に矛盾があると、すかさず突っ込む子供で、しかも強情だったので、ひょっとしたら母は、私のそういうところが嫌だったかもしれない。親になるとわかる。親だからと言って、必ずしも自分の子供のすべてがいとおしいとは限らない。

昭和の初めに田舎で生まれて、戦争があった。思うに、まだ人間としての成長期に戦争などがあると、人が人でなくなるところ等を見て心に深い傷を負う。平和な時代に勤め先等で凌ぎを削っているわけではなく、自分の過ちを認めたら最後、潰される世界。命さえなくなるかもしれない。そんな時代に生きてきたら、そりゃまともでいる方がおかしい。

だから感情の起伏が激しく、度を超えて厳格で、はやくはやくとせっかちであったとしても仕方ない。でも概ねは可愛らしい人だった。

父が早くに亡くなり、私は家を出たかったけれども、母は田舎の人だったから親の面倒を見るのは当たり前、と思っていた。私はまだ若くて、自分の人生は自由であると思っていたから、家に縛り付けられているようでなんだかつらかった。そんなときに前にも書いたかと思うが「二十日鼠と人間」という映画を見て、映画館で号泣した。人には絶対に捨てられないもの、捨ててはいけないものがある。映画で見せられ、退路を絶たれたようでものすごく悲しかったのだ。でもそれで何かを少しあきらめた。

結婚もするつもりはなかったが、お見合いで出会ったひとがたまたま良い人で結婚した。母の言う通りお婿さんに来てもらい、私は名前を変えなくて済んだ。だけど、彼の苦労人で始末屋なところが母の逆鱗に触れ、母は何年も執拗に彼を追い詰めた挙げ句、私に離婚しろと言った。私もこのままではパパは殺されてしまうよな、と思い、仕方なく離婚した。子供のお父さんなので今でも時々会ってご飯を食べたりするが、厄介ごとに巻き込んで本当に申し訳なかったと思っている。先方のお母さんは、今でも私を恨んでいる。

と、言うわけで、どうも今回、ジュリーさんのことをなんとなく他人事とは思えない。大変だと思うけれど、周りの力も借りながら、どうか無理をせず頑張ってください。僭越だがそう思う。